tomoro2004-04-23

学期がそろそろ終わろうとしている。ある人々は帰り、ある人々は残って単位の虜になる。僕はやはり後者で、愛する母国にはしばらく帰れそうにない。しかし明日にはフィラデルフィアへ行き、聡子さんを迎えに行く。5月は聡子さんと暮らす。あっという間に過ぎてしまうであろうその時間を目前にして、僕は何をするでもなくマルボロに火を点ける。関係性のある事項よりも、そうでない事項のことのほうが気になるということもあるのだ。

tomoro2004-04-15


昨日は番組を作った。「Dump Or Date」という題名だ。

内容はデートショー。初対面の男女がデートをして、付き合うか否かを決める、という内容。まあアメリカじゃ良くある類の番組。

企画段階で、僕は発案者に
「これは恥ずかしすぎるから無理だろう、違う内容で行こう」
と提案したのだが、それは有無を言わさず却下された。

彼らはヤル気満々なのだ。ニコニコしちゃって、今にもカメラを構えださんとしてた。

「チョッ、こいつらにそんな演技ができるのかよう」
と僕は思った。僕らはアホ大学生であり、俳優ではないんだ。

しかしアホなのは僕であり、アメリカ人を侮ってはならない!ならない…ならない…。

僕はカメラマンだった。僕のスタートサインとともに目の前で繰り広げられる男女の熾烈な駆け引き。飛び交う小汚い言葉。もう、なんていうか、ごめんなさい。あんたが大将。

リアルだよ…おやっさん。真っ白にリアルだよ。

阿部公房「砂の女」読了。

エンターテイメントとしての小説と、芸術作品としての小説、どちらの要素を含み、文芸作品として中庸を得た作品。何ヶ国語か忘れたけど世界各地で読まれているらしい、この世界観は外国人受けがいいのだろうか、フランスあたりの前衛気取りのヤツラには受けるだろうが、アホアメリカ人たちにはどう映るかな。

阿部公房は狂人ではない。しかし狂人が書いたような文体。そう、狂人が書いたような文体を作り出す作家のことを「この人は狂人ではない、確信犯なのだ」ということは非常に容易いことなのだ。難しいのは確信のディテールと目的、理由を知ることである。

そういう意味で解読が最も難しい作家の一人。読者泣かせ。

tomoro2004-04-13


夏のために引っ越しをした。豚小屋みたいな寮の部屋とはサヨナラ、アメリカンドリームを具現したような豪華なアパートへ。あまりにでかすぎる部屋、僕一人でこんなところを占有していいのだろうか。あれよあれよという間にネットも繋がり、万事が万事在るべき所へ落ち着いているようだ。

ルームメートのマレーシアカップルはとても良くしてくれる、毎日のようにケーキを焼く彼女と、日本のアニメと経済の話しかしない彼氏、僕はひたすらタール数の少ない煙草を吸ってはゲイ扱いされるのだ。

きっと5月は良い季節になる。忙しいクラスさえなければ。